a curator's memorandum

1日1本論文を読んでメモする、論文マラソンをやっています。

論文マラソン62 蔦谷典子「光の狩人 森山大道1965-2003」

蔦谷典子「光の狩人 森山大道1965-2003」(『光の狩人 森山大道1965-2003』図録、島根県立美術館ほか、2003年)。

 

第一章 にっぽん劇場写真帖 1965-1967

第二章 プロヴォークの時代 1968-1970

第三章 何かへの旅 1971-1973

第四章 ワークショップ写真学校、「CAMP」の時代 1974-1980

第五章 光と影 1981-2003

 

森山大道ウィリアム・クラインの写真に衝撃を受けると同時に、写真雑誌に活躍が掲載されていた「VIVO」の写真家たち、とりわけ東松照明にあこがれ、上京する。

〇1963年に結婚、64年に逗子に移り、生涯の友となる中平卓馬に出会う。65年には「無言劇」を発表。また東松に感化され、横須賀に通い写真を撮る。

〇1968年は車で国道を疾走しながらシャッターを切る「国道シリーズ」を展開、同年12月には「プロヴォーク」に参加。メンバーは中平卓馬多木浩二高梨豊岡田隆彦。また森山は同時代のアンディ・ウォーホルからも強いインパクトを受けている。

〇1970年「プロヴォーク」解散。森山は写真集『写真よさようなら』を刊行。

〇1970年代後半は旺盛な展覧会活動のほか、ワークショップ写真学校、「CAMP」の流れがある。しかしこの頃森山自身は心身の衰弱が著しかった。

〇1982年、写真集『光と影』を刊行。またエッセイ「犬の記憶」も出版され、次々に新境地を開いていく。