a curator's memorandum

1日1本論文を読んでメモする、論文マラソンをやっています。

論文マラソン61 高松次郎「世界拡大計画 不在性についての試論(概説)」

高松次郎「世界拡大計画 不在性についての試論(概説)」(1967年6月)。

 

1 充足性について

2 不在性の発生

3 不在性の分析

4 実在に関する不在性

5 認識に関する不在性

6 イメージに関する不在性

7 不在性のために

 

これまでも繰り返し高松が述べてきた「充足性」と「不在性」を以下のように定義する。

われわれを強くひきつけ活気づけ、充足させるものが何であるか、はっきりしないだろうか。それは、実在する事物それ自身にはない。厳密にいうなら、意識と事物との直接的な関係、すなわち<認識>にはないということである。(・・・)必然性ではなく、蓋然性であり、決定されたものではなく、未決定性であり、結果ではなく、期待やそれへの過程そのものであり、いまだ不在の事物の可能性と不可能性の総体である。(・・・)それは、一言でいえば、不在性というほかはないものなのだ。

そして不在性を「実在」「認識」「イメージ」に分類するが、「イメージ」という語は初めて出てきたように思うので、以下引用する。

いままで不在性というものを、実在の認識の不可能性というものを主にして書いてきたが、ここでもう一つ別なものを取りあげなければならない。(・・・)[少女が自ら絵筆をとって花の絵を描き]それは物質の世界、実在の次元から隔離された花なのであり、その花に対する意識そのものなのだ。絵画に限らず、このように想像の世界(イメージ)というものは非実在であり、実在の世界を超えている。そこでは実在性の有する厚い壁をのり越えることができる。

そして、そのような想像(イメージ)の不在性は、想像力そのものの限界に規定されている。それは実在性の限界から解放されているが、反面、実在性のもつ限りない豊かさや、広がりや、重みに欠けている、と述べている。

最後のまとめでは、われわれに必要な不在性は、「より拡大された不在性を追求することそれ自体の不在性」と述べ、その内容は無限の空間に向って拡大していく世界を実現することと締めくくる。