論文マラソン153 脇田裕正「第4章 文壇の批評家としての春山行夫―ジェイムズ・ジョイスと「「意識の流れ」と小説の構成」」
脇田裕正「第4章 文壇の批評家としての春山行夫―ジェイムズ・ジョイスと「「意識の流れ」と小説の構成」(『降り坂を登る―春山行夫の軌跡 1928-35』松籟社、2023年)。
はじめに
1 「ポエジイ」の喪失
2 「文学の偽浪漫主義的傾向について」―文学の自然主義と自然主義の文学
3 「「意識の流れ」と小説の構成」―『ユリシーズ』の衝撃
4 1931年の「意識の流れ」と1934年の「意識の流れ」の相違点について
〇1931年以降春山は文芸批評家として積極的に活動していく。また関心は詩から小説へ移りつつあった。とりわけジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』論で高く評価を受ける。
〇日本で『ユリシーズ』が流行した1930年代初頭、日本でも本格的に精神分析が広まっていった。伊藤整の『ユリシーズ』論は、この流行に沿ったものである。しかし春山にとって『ユリシーズ』の新しさは心理的な事実の探究ではなく、小説の様々な方法論をこれまでになかったかたちで構成した点にあり、それを論じたのである。