a curator's memorandum

1日1本論文を読んでメモする、論文マラソンをやっています。

論文マラソン143 ジョン・ソルト「第3章 文学上のシュルレアリスム」

ジョン・ソルト「第3章 文学上のシュルレアリスム」訳:小川正浩、ヤリタミサコ、田口哲也(『北園克衛の詩と詩学 意味のタペストリーを裁断する』思潮社、2010年)。

 

〇1927年北園は詩誌の編集を依頼され「薔薇・魔術・学説」を発行。上田敏雄・保兄弟らも寄稿。初期は稲垣足穂も寄稿し表紙を描いていたが、脱退後は北園の素描が表紙となった。

〇この頃、日本のシュルレアリスムグループとしては「薔薇・魔術・学説」のほか、慶應義塾大学教授の西脇順三郎とその周辺による「馥郁タル火夫ヨ」があった。「薔薇~」もあえて自分たちが「シュルレアリスト」とは名乗っていなかった。そもそもブルトンを知らなかったからかもしれない(1929年に翻訳)。フロイトの無意識の理論は全く知らなかったであろう。

〇反対に、慶應グループはシュルレアリスムとの関係を鮮明に打ち出した。またこの両者は合流して「衣装の太陽」という詩誌を発行。

〇出版社厚生閣は詩人で理論家の春山行夫をやとい、新しい機関誌『詩と詩論』(1928-31)を出版、売り上げもさることながら若い文学者に大きな影響を与えた。編集方針としては外部からの寄稿者に常に開かれていた。

〇日本のシュルレアリストたちは、さまざまな実験を行いその後の独自のコンクリート・ポエトリー(具体詩)への飛躍へと展開していく。