a curator's memorandum

1日1本論文を読んでメモする、論文マラソンをやっています。

論文マラソン149 脇田裕正「第1章 モダニズムの詩人の肖像―春山行夫の「ポエジイ」と言語の実験」

脇田裕正「第1章 モダニズムの詩人の肖像―春山行夫の「ポエジイ」と言語の実験」(『降り坂を登る―春山行夫の軌跡 1928-35』松籟社、2023年)。

 

はじめに

1 「ポエジイ」とは何であるか―主観と客観の間で

2 新しい詩人像と「ポエジイ」―革新としての詩論

3 詩論の言語―「ポエジイ」を逃れるポエジイ

 

〇詩人、批評家、編集者である春山行夫(1902~1994)の1928~1935年の批評家としての側面を分析する。

〇優れた編集者であった春山は『詩と詩論』、のちに『セルパン』と自ら媒体をつくることで、思う存分詩論を展開することができた。

〇春山にとって重要なキーワードの一つが「ポエジイ」であるが、その意味は一般に考えられる抒情、詩情という主観的な意味ではない。より理知的で定義ができる「詩が詩である」ための概念である。しかし、春山自身は繰り返し「ポエジイ」を論じるが、その意味は二転三転しはっきりしない。

〇その批評スタイルは、攻撃的で罵倒もいとわず、特に萩原朔太郎を標的とした「世代間闘争」ともいえるものであった。また個別の作品分析ではなく、春山にとっては「詩=詩論」であった。自らの詩に、彼のいう詩論が読み込めるかというと必ずしもそうではない。