a curator's memorandum

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論文マラソン154 小林俊介「難波田龍起・松本竣介・靉光の油彩技法について」

小林俊介「難波田龍起・松本竣介靉光の油彩技法について」(『美術史』145号、1998年10月)。

 

はじめに

1 難波田・竣介・靉光の油彩技法―油彩の透明性を生かした重層的技法―

2 ルオーの影響―古典的重層技法の応用者として―

3 技法の背景―「生」の表出・イメージの生成―

 

〇難波田龍起(1905-1997)・松本竣介(1912-1948)・靉光(1907-1946)の油彩技法、材料、マチエールについて再検討する。日本近代美術史の研究においては、図像の比較に傾斜しがちであった。その理由は、黒田清輝以降の洋画において、イメージは多種多様であっても、技法的にはその多くが不透明な「プリマ画」であったからであるといえる。「プリマ画」とは、下層描きという下準備やグレーズによる上層描きをせずに一発で形と色を決める技法である。

〇難波田・竣介・靉光の3人は当時珍しかった油彩の透明性を生かした重層的な技法を用いていた。彼らはヨーロッパへの留学もしていないし、油彩技法を美術学校で学ぶ機会もなかった。彼らは独学によってその技法を獲得している。

〇彼等の画業の初期にあたる1920年代後半から1930年代にかけて、ヨーロッパの中世・ルネサンス期の古典的絵画技法が相次いで雑誌や書籍で紹介された。これは、ヨーロッパの美術界における古典回帰・具象回帰の趨勢と連動している。

〇もう一つの大きなきっかけは1930年代に国内で盛んに展示された福島コレクションの外国作品の影響であり、とりわけ同コレクションのルオー作品の影響である。特に1934年2月開催の国画会主催による福島コレクション展は、当時の若い画家たちに絶大な影響を与え、翌年以降に難波田らの技法が劇的に変化している。

〇彼らの技法は、一種の近代批判となっている「古代志向」にも関連している。芸術における生の表出として、その生命の原理を古代ギリシアの文化や生活に象徴させて彼等は作品にしている。しかししばしば「古典的絵画技法」と題されて紹介される技法は中世からルネサンスにかけての技法であり、決して「古代」ではない。にもかかわらず、難波田らにとっては古代=古典=生命という図式が成立していた。

〇古代的なモチーフを描くこと自体は、当時の流行でもあり、例は多く挙げられる。

〇難波田や竣介は、30年代後半にはそれぞれ古代、近代の都会と一見正反対のモチーフを描いている。しかし、それらは写生に基づくのではなく、「モンタージュ」による構成であるという共通点も見逃せない。彼らの理想は彼らの精神の中の理想郷として、モンタージュとして表現されざるをえなかったのではないか。