a curator's memorandum

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論文マラソン167 大川内夏樹「北園克衛の「郷土詩」と「民族の伝統」―詩集『風土』・評論集『郷土詩論』を中心に」

大川内夏樹「北園克衛の「郷土詩」と「民族の伝統」―詩集『風土』・評論集『郷土詩論』を中心に」(『横光利一研究』11号、2013年3月)。

 

1 はじめに

2 地方文化運動/『鯤』/人類学・民俗学

3 「民族の伝統」と「技術性」

4 「郷土」を想起させるもの

5 「民族の伝統」と戦争

6 おわりに

 

北園克衛は1940年に突然『VOU』誌上で「宣言」を発表し、民族主義的な方向性を打ち出した。それを具体化したのが「郷土詩」である。それは詩集『風土』(昭森社、1943)と『郷土詩論』(昭森社、1944)として出版され注目を集めた。自らこれを愛国詩運動に連なるものと評したため、戦後否定的に評価を下される。

〇北園の「郷土詩」についての先行研究は、第1にモダニズム詩人の戦争協力、転向という側面から批判的に、第2に詩的実験の系譜への位置づけという側面からのアプローチがある。

〇ここでは大政翼賛会文化部による地方文化運動の理念や<大東亜共栄圏>構想についての言説との比較を試みる。

〇まず北園がいう「郷土」とは「民族の伝統」を保存する場所としての地方の生活環境である。北園が「郷土詩」について考え、意見を発表し始めるのは1941-42年であり、大政翼賛会文化部による地方文化運動が提起されていた時期にあたる。

〇確かに北園と地方文化運動は共鳴する点があったといえる。しかし、北園が最初に郷土詩を書いたとき、まだ大政翼賛会は発足していなかった。

〇北園はこの頃欧米文学の受容から非西洋文化への関心を深めていった。伝統回帰といえる詩を書いた理由の一つとして、欧米のシュルレアリストたちが民俗学、人類学的観点から非西洋文化に関心をもったのと同様に、北園も民俗学、人類学的観点から日本の伝統をとらえなおし、新しい文学の可能性を見ていたからではないか。また柳田国男への関心も強い。

〇また北園の「郷土」からは故郷の喪失や不安といった感情は読み取りにくく、むしろそこから構築されていくべき新しい文化の方向性に力点が置かれ、<大東亜共栄圏>の思想に近づいていく。