a curator's memorandum

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論文マラソン94 中嶋泉「エロスの政治学―1960-70年代の「日本の」美術」

中嶋泉「エロスの政治学―1960-70年代の「日本の」美術」(『ジェンダー研究』25、2022年)。

 

1. はじめに

2. 「エロス」の文化と「日本の」アーティスト

3. 性器の表現と「エロス」

4. エロスの抹消と男性性

5. おわりに

 

〇1960、70年代の「日本人」ないし「日本出身」の女性アーティストとの比較から照射される「日本の」男性アーティストのセクシュアリティジェンダーについて考察する。

〇「エロス」は根源的快楽の欲求あるいは生の欲動として説明されるフロイト精神分析用語。それをヘルベルト・マルクーゼが1955年の著作『エロス的文明』で再解釈し、50年代以降広がってゆく。

フロイトによれば、個人の成長過程、文明の発達過程はエロスを抑圧する過程である。マルクーゼは著作において、20世紀後半以降の文明の発展により死への衝動が肥大化して人類の破滅に繋がる可能性があると指摘し、そこから脱出するためにはエロスの解放と復権が必要だと主張した。これは「性器の優位に縛られていた性」から人格全体のエロス化の変化であると語られる。

第二次世界大戦後世代の欧米の若者は、マルクーゼの理論こそ近代が陥った深刻な危機を打開する道と信じ、それを「性の解放」という生き方を通して実践しようとしたのである。その文化的実践が、性の表現であり、ヌードのイヴェントであった。

〇この運動は一部では、女性解放運動やフェミニズムの展開に連なっていった。女性が性を扱うということが、それまでの性の客体だった自らの身体を自分たちのものとして取り戻す術となったのである。

〇日本においても同時期、アンダーグラウンド文化を中心に、ヌードのイヴェントや性を主題にした演劇などが盛んにおこなわれた。こうした傾向について、マルクーゼその他の論者の理論が厳密に議論された形跡はほとんど見当たらない。

アンダーグラウンド文化だけではなく、いわゆる美術にもエロスの波は押し寄せたが、こちらでは女性の活動の痕跡はほとんど残されていない。1960年代に入って日本の前衛美術は「ボディ・アート」や「反芸術」とも呼ばれた男女の身体的部位や性器をかたどった作品に満ちていた。たとえば工藤哲巳赤瀬川源平など。

〇女性の性の表象はあったが、日本の美術におけるエロスの運動には主体としての女性の影は薄い。60年代末から70年代にかけての日本の美術の記録には、モデル以外の役割で女性の姿はほとんど見当たらない。

〇理由の一つとして、日本の美術では「エロス」が「反権力」の手段として提示されている点が挙げられる。エロスというテーマは権力に歯向かうための道具であった。

〇他方、女性の美術評論家であった日向あき子の文章には、「権力を掘り崩すためのエロス」という観点は見られず、欧米主流の思想と同様、人間解放の手立てとして語られている。

〇日本美術界のジェンダー状況と大きく異なるのが、50年代末から60年代初頭に渡米した日本出身女性アーティストたちのニューヨークでの活躍である。草間彌生オノ・ヨーコ久保田成子らが主にパフォーマンスなどの活動を通じて、既存の性に挑戦する表現を行っていた。

〇中嶋は、同じ性のテーマを扱う男女のアーティストの作品分析を行う。例として吉岡康弘とオノ・ヨーコ工藤哲巳草間彌生である。

〇工藤も草間もパフォーマンスを海外で行った。工藤の作品にはヨーロッパ文明批判の側面があり、欧米で広まっていたエロスの言説と性革命の論理とは対極的な方向性をみせている。ヨーロッパで日本の代表たるサムライを演じ、西洋の観客を前に暴力的な男根の抑圧によってヨーロッパの文明に相対するというポーズをとっていたといえる。

〇吉岡や工藤は、エロスを否定することによって、従来の男性的ジェンダーを保持し、そこで保たれるのは、女性の解放を含めた欧米の価値観に毒されない、日本の男性の性ということになるであろう。