a curator's memorandum

1日1本論文を読んでメモする、論文マラソンをやっています。

論文マラソン107 加藤奈保子「美術史的観点から見た鑑賞学習における「知識」の扱い方をめぐって」

加藤奈保子「美術史的観点から見た鑑賞学習における「知識」の扱い方をめぐって」(『人間発達文化学類論集』第35号、2022年3月)。

 

1. はじめに

2. 美術作品はコミュニケーションのツール?

3. 美術作品を成立させる要素

4. 鑑賞と知識

5. おわりに

 

〇鑑賞学習をめぐる近年の動向をふまえ、美術史研究の立場からみた教材としての美術作品の見方について述べていきたい。

〇今日における鑑賞学習の定番といえば、児童生徒が作品を前にして気づいたこと・感じたことを発言しあう対話型鑑賞であろう。

〇日本でも1990年代以降の第一人者としては上野行一、福のり子がそれぞれ活動を展開してきた。上野は「生きる力」の鍛錬を重視する学習指導要領の改訂やVTSを否定的にとらえ、自身の考えを「対話による意味生成的な美術鑑賞」として美術館の鑑賞プログラムから派生した対話型鑑賞から区別している。一方、福氏は本場のVTSを日本人向けにアレンジした対話型鑑賞プログラムを開発した。

〇また近年、愛媛県美術館の学芸員・鈴木有紀氏による授業も注目された。しかし、こうした対話型鑑賞を通じて果たして、作品の本質に迫ることはできるのだろうか。美術作品が単なるコミュニケーションのツールになってしまうのではないか、と筆者は危惧する。

◯西洋美術に関していえば印象や感情は鑑賞者の自由な解釈に委ねられている、という見方は芸術家たちが伝統的な主題や表現方法を乗り越えてゆく19世紀末以降の作品になる。神話主題や宗教主題の意味を勝手に解釈することはできない。

◯対話型鑑賞ではとかく、作品に関する知識は不要といわれるが知識を提供するタイミングが肝要である。