a curator's memorandum

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論文マラソン118 小林俊介「近代日本洋画におけるルオーの受容―技法・表現の側面から―」

小林俊介「近代日本洋画におけるルオーの受容―技法・表現の側面から―」(『ルオーと日本展 響き合う芸術と魂ー交流の百年』図録、パナソニック留美術館、2020年)。

 

梅原龍三郎ー「日本的洋画」の形成ー

三岸好太郎ーマチエールの多層性ー

波田龍起、松本竣介靉光ールオーからレンブラントへー

 

〇近代日本の洋画家におけるルオーや受容について、技法や表現の側面から考察する。対象となる画家は松本竣介(1912-1948)、靉光(1907-1946)、寺田政明(1912-1989)。そして三岸好太郎(1903-1934)、林重義(1896-1944)、鳥海青児(1902-1972)である。またルオーを日本で最初期に紹介した伊藤廉(1898-1983)、さらに難波田龍起(1905-1997)、里見勝蔵(1895-1981)、梅原龍三郎(1888-1986)とする。

〇里見、林、伊藤、三岸ら1930年の独立美術協会の結成に関わった画家たちはルオーの受容史においても重要な位置を占めている。里見、林、伊藤は渡欧経験があり、パリでルオーの作品を実見している。里見や最初期のルオーの紹介者、林のサーカスやピエロのモチーフはルオーと近く、伊藤は梅原や福島繁太郎と親しく、ルオー画集の編著者でもある。

〇三岸はピエロなどのモチーフ、太い輪郭線や幅広の筆触という外面的な特徴だけでなく、油彩技法の重層性、多層性という点においてルオーの転移が認められる。例えば《裸婦B》(1932年)は赤茶っぽい下層の上に、白を多用した明色が一部下層を残しながら塗られている。この多層的な塗りが裸婦肌部の諧調を表現している。

〇こうした明部から暗部への諧調の移行を、下層の色を適切に塗り残しながら行う技法は古典絵画によく見られ、この方法で得られる中間調子をオプティカル・グレーと呼ぶ。デルナーが強調するように、オプティカル・グレーは直接不透明に描かれた中間調子より軽やかである。

〇ルオーと三岸には決定的な差異もあり、伊藤が報告するような薄い絵具を塗っては削りという過程を繰り返す1920年頃のルオーのような作画を三岸は行っていない。三岸は下層を生かした上塗りはあるが、それは里見ら当時の独立美術協会の主要な画家と同様、不透明な塗りが中心である。下層に多様なニュアンスと統一感を与える透明な上塗り、すなわち古典的な透層(グレーズ)技法は、三岸作品では行われていない。

〇難波田、松本らは伊藤より一回り下の世代だが、油彩の透明性を生かした重層的な技法が見られる。また松本作品はグレーズ後の削りによって下層の絵具を露出させ、物質観を強調する技法が随所にみられる。これはルオーに加えてレンブラントからの転移もあったのではないか。

〇当時の技法書にはレンブラントの「削り」の技法が繰り返し紹介されており、塗りの多層性、グレーズと削りによるマチエールの強調という点でルオーとレンブラントの技法は同根である。

〇同じ視点にたてば、靉光におけるルオーの転移は、《コミサ(洋傘による少女)》などよりも《眼のある風景》など、1938年以降のグレーズや削りを使用した作品にこそ見出されるべきかもしれない。