a curator's memorandum

1日1本論文を読んでメモする、論文マラソンをやっています。

論文マラソン105 栗原真未「瑛九作品におけるリトグラフ―媒体の横断と「デッサン」的技法」

原真未瑛九作品におけるリトグラフ―媒体の横断と「デッサン」的技法」(『石井コレクション研究1:瑛九筑波大学芸術学系、2010年)。

 

はじめに

1. リトグラフにおける作品制作の姿勢

2. リトグラフの技術的側面と周囲の認識

おわりに

 

◯銅版画からリトグラフへと移行した1956年前後を軸に、瑛九の作品と言説、彼を取り巻く美術家や美術評論家の言説をもとに、リトグラフにおける制作の姿勢と技術的側面への認識の観点から、本人がリトグラフをどのように位置づけていたかを探る。

瑛九リトグラフには概ね3つの傾向が見られる。①銅版画やフォトデッサンに見られる人体、車輪、森そして眼という官能的かつグロテスクなイメージ②抽象的傾向の強い作品③同時期の油彩に見られる、形態が不明確で鮮やかな色彩の点を配する作品。

◯特に③の点描ともいえる作品は、油彩と同様1957年頃から制作されている。

リトグラフを開始した1956年は油彩においては色彩の点による抽象的傾向の強まる過程の時期。つまり表現媒体を越境していくような姿勢は多色刷りリトグラフにも見られる。

◯1955年、銅版画を盛んに制作していた頃、多色の銅版に挑戦したいと述べるが、実作は残っていない。また池田満寿夫の証言からも色彩に関心があるものの成功しなかったようだ。

◯泉茂は1955年にモノクロームの銅版画に執心しているが、翌年には瑛九に先行してリトグラフを始めていたデモクラートの利根山光人に技法を学んでいる。そして1957年には第1回東京国際版画ビエンナーレに出品し、多色刷りリトグラフによって新人奨励賞受賞。

瑛九に近い美術家たちは銅版画はモノクロームリトグラフは多色刷りという認識が定着していた。

◯実際には浜口陽三が多色刷り銅版画を手がけているので技術的には可能だったが、当時の版画を手がける作家には線引きがあった。