a curator's memorandum

1日1本論文を読んでメモする、論文マラソンをやっています。

論文マラソン146 金子隆一「新興写真研究会についての試論」

金子隆一「新興写真研究会についての詩論」(『東京都写真美術館紀要』3、2002年)。

 

1. はじめに

2. 新興写真研究会の結成

3. 新興写真研究会の主張

4. もうひとつの新興写真研究会

5. 新興写真研究会の終焉

 

〇木村専一(1891-1938)を主幹として結成された団体「新興写真研究会」の機関誌として『新興写真研究』が1930~31年にかけて3冊刊行されている。同時代のドイツを中心に、写真の機能性にもとづく新しい写真運動は1920年代後半から日本にも紹介され、「新興写真」の名のもとに新しい動向が形成される。

〇一般に「新興写真研究会」は、中山岩太を中心とした「芦屋カメラクラブ」や、大阪の「丹平写真倶楽部」などと並び、東京の新興写真の団体と受け止められてきた。しかしメンバーや結成の由来を見ていくと、東京、大阪、名古屋、三都市圏の写真家たちを木村がまとめたようにみえてくる。

〇東京のメンバーはオリエンタル写真工業の関係者や、『フォトタイムス』の編集部の田村栄、伊達良雄がいる。メンバーにはピクトリアリズムを標ぼうした写真家たちも含む団体であった。