a curator's memorandum

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論文マラソン131 大谷省吾「シュルレアリスムの影響を受けた日本の画家たちにおける、性と死の表象について―瑛九、矢崎博信、浜田浜雄を例に」

大谷省吾シュルレアリスムの影響を受けた日本の画家たちにおける、性と死の表象について―瑛九、矢崎博信、浜田浜雄を例に」(『藝叢』22号、2005年)。

 

はじめに

第1章 変容する眼/瑛九

第2章 幻視される死/矢崎博信

第3章 二人の自分/浜田浜雄

おわりに

 

〇日本でシュルレアリスムの影響を受けた芸術家たちは「性」と「死」を主題にすることがまれであったと考えられてきた。しかしそれはタブローの場合であり、戦時中という時代を鑑みれば、そうした表現は検閲につながる。ここでは瑛九、矢崎博信、浜田浜雄の3人のデッサンなど紙の上の仕事に目を向け、分析する。

〇1936年にフォト・デッサンでデビューした瑛九は翌年1937年の第1回自由美術家協会にフォト・コラージュを出品している。この一連のフォト・コラージュには怪奇なエロティシズムが見られ、また頭部がなく奇妙なのっぺらぼうのような人体、寄せ集められたからだのパーツが読み取れる。

〇直接の影響を受けていたわけではないが、ジョルジュ・バタイユはしばしば人間の理性を司る頭部への嫌悪を示し、頭部を欠いた人体を表紙絵としてアンドレ・マッソンが描いている。頭部を貶めようとする態度においてバタイユ瑛九は類似を示す。

瑛九は『眠りの理由』刊行後、画壇が彼に与えた評価が、彼自身の探究しようとする方向とあまりに乖離していたことに悩み、精神的な危機を迎えていた。こうした表現者としての孤独と疎外からの反撃として生み出されたのがフォトコラージュだといえよう。

〇矢崎博信(1914-1944)のデッサンは日記や書簡とともに保管され、近年茅野市美術館に寄贈された。矢崎はプロレタリア美術とも共通するような社会告発の主張を、デッサンの中で日常の都会生活において、突如闖入する暴力や死の幻影として描いている。残された文章によれば、閉塞した社会の中で生活する彼自身が、平凡な日常の中でふとした折に感じる違和感のようなものを「死の衝動」すなわち一種の悪夢として、衝撃的に示そうとしたと考えられる。さらにこの閉塞感は、早い時期から戦争への不安と重ね合わされていることも注目される。

〇浜田浜雄(1915-1994)はサルバドール・ダリの模倣とみなされることも多かった。彼の残したカリカチュア的なデッサンは、気ままな落書きにも見える。これらや残されたサインはジャン・コクトーからの影響を思わせる。また社会的な自分と内側にこもった自分のダブルイメージ(あるいは見立て)には二人の自分が投影されている。一見ダリのダブルイメージと類似しているが、この頃まだダリのダブルイメージは具体的に日本に紹介されていない。