a curator's memorandum

1日1本論文を読んでメモする、論文マラソンをやっています。

論文マラソン130 久米淳之「ダリの映像表現をめぐって―イメージの連鎖とショック・モンタージュ」

久米淳之「ダリの映像表現をめぐって―イメージの連鎖とショック・モンタージュ」(『生誕100年記念 ダリ展―創造する多面体』図録、中日新聞社、2007年)。

 

シュルレアリストと映画

映画とダリ

ダリの絵画と映像、そのイメージの連鎖

連鎖するショック・モンタージュ

 

1920年代から30年代にかけて多くのシュルレアリストたちが映画を製作している。フランシス・ピカビアとルネ・クレールがシナリオ、ピカビア自身、マン・レイデュシャンが出演する《幕間》(1924年)、カメラを用いずレイヨグラムの原理によってつくられたマン・レイの《理性への回帰》、デュシャンマン・レイマルク・アレグレによる《貧血症の映画》(26年)、マン・レイの《エマク・バキア》(27年)、マン・レイデスノスによる《ひとで》、ジョルジュ・ユニエによる《真珠》(29年)、ジェルメーヌ・デュラックとアントナン・アルトーによる《貝殻と牧師》などで、これらは非商業主義映画で多くは詩と結びつけられ、一貫性のない物語の画面が展開される「前衛映画」であった。ダリもまたルイス・ブニュエルと《アンダルシアの犬》(29年)を製作。

◯ダリは時に著作や絵画で、映画批判をすることもあったが、少なくない映画にシナリオ、美術などで関わっている。また「蟻」「腐ったロバ」というイメージは映画、絵画と自ら関わる作品に横断的に現れる。

◯ダリにとって映画表現は、ブルジョワ的価値観への攻撃手段、そして反芸術表現の媒体であり、観るものにショックを与える、絵画空間と同次元の表現方法であった。

◯そしてダリが映画に惹かれたのは、匿名の集団制作に基づき、直接「一般大衆に語りかけられる媒体」という性質であった。