a curator's memorandum

1日1本論文を読んでメモする、論文マラソンをやっています。

論文マラソン129 大谷省吾「作品研究 高松次郎の《日本語の文字》はなぜ版画でなければならなかったのだろう?」

大谷省吾「作品研究 高松次郎の《日本語の文字》はなぜ版画でなければならなかったのだろう?」(『現代の眼』576号、2009年6・7)。

 

高松次郎の《日本語の文字》は紙面中央に「この七つの文字」と記されているだけのシンプルな作品である。1970年12月の第7回東京国際版画ビエンナーレに出品されている。

〇本作は版画であり文字の周りには繰り返しコピーしたようなノイズ、汚れがある。これまでの先行研究ではほとんどがシニフィアンシニフィエの一致を示す指摘がほとんどであるが、高松自身の言葉によればインクという物質を顕在化させる意図がある。

〇大谷によれば高松の絵画作品《影》シリーズと似たような構造を本作はもつ。《影》には人間の影が描かれているが、キャンバスに描かれた影の主は存在しないので「不在」が意識される。

〇《日本語の文字》ではコピーが繰り返されているように見えることから「オリジナルの版」がどこかにありそうだが、目の前には1点しかない「不在」を感じさせるという共通点がある。本作におけるノイズのような汚れは、「不在」をめぐる思考へと観る者を誘う仕掛けではないかと述べている。