a curator's memorandum

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論文マラソン117 小林剛「アフター・イメージとしてのニューヨーク―モダニティとモダニズムの狭間で」

小林剛「アフター・イメージとしてのニューヨーク―モダニティとモダニズムの狭間で」(田中正之編『西洋近代の都市と芸術7 ニューヨーク』竹林舎、2017年)。

 

ルフレッド・スティーグリッツとピクトリアリズム

ピクチャレスクなニューヨーク

象徴的なイコンとしての指標

アフター・イメージとしての写真

フラットアイアン・ビル

垂直的なものと水平的なもの

モダニティとモダニズム

 

〇「芸術写真の父」アルフレッド・スティーグリッツは1905年に291ギャラリーを創設、また1899年に雑誌『スクリブナーズ』に「ピクトリアル写真」という文章を書き、過去10年の間に多くのアマチュア写真家たちのあいだで起こっている新しい動きを「ピクトリアリズム」と呼んで称揚した。またスティーグリッツ・サークルの理論的支柱であった美術批評家サダキチ・ハートマンの文章によって、アメリカの写真家のあいだに広まってゆく。

〇スティーグリッツの初期ニューヨーク写真には、瀟洒なタイトルがつけられ、霧に煙ったような雰囲気や曖昧な画面、人工的な建築物と自然のものの対比、異国情緒に鬱まれた情景といった要素とあいまって、ある詩的普遍性が漂っている。

〇しかし「ピクチャレスク」という概念は新しくない。マルカム・アンドリューズの『ピクチャレスクの探究』によれば、「美」「崇高」「ピクチャレスク」という18世紀イギリスの風景美学を形作る要素は近代の表象文化への移行の過程で生み出されている。つまり「ストレート・フォトグラフィー」に転向する以前のスティーグリッツ・サークルの写真家たちは「古いものの文脈で新しいものを見た」ということもできる。

ジョアン・ラモン・レッシーナの『都市のアフター・イメージ』によれば、アフターイメージとは「都市」は我々の眼やメディアを通してのみ知っている視覚的イメージだけではなく、概念やメタファーのような抽象的形態のイメージと区別できない知識の小片のようなものだという。

〇またニューヨークは急速に近代化する一方、反動として「人間は自然のなかでのみ浄化される」という独特の自然観に基づき、都市の郊外に人間と自然とが触れ合うことができる場所を構築するという運動がおきる。そうした流れで1873年にセントラル・パークも開園する。

〇スティーグリッツが撮影したフラットアイアン・ビルの写真は、アメリカ合衆国の歴史的文脈を暗に内在しつつ、当時のアメリカ人が感じていた「自然と機械文明の調和的共存こそがこの国の未来を作り出す基盤である」という共有観念を効果的に視覚化したアフター・イメージといえよう。

〇自然と機械文明の対立と調和というテーマは、アメリカの都市計画全体にも見られた。ニューヨークは商業的首都として街づくりが行われ、中心部には続々と高層ビルが建てられ、垂直方向に街は拡大し、セントラル・パークという「自然」は比較的周縁部に配置される。水平的なものとは雑多で混沌とした人間性あふれるより自然に近い日常的なもののことである。

〇スティーグリッツ・サークルの写真家たちがつくりあげたアフターイメージは「垂直的なもの」に関わり、もう一方の「水平的なもの」を描いていたのがアッシュカン派のリアリズム画家たちである。