a curator's memorandum

1日1本論文を読んでメモする、論文マラソンをやっています。

論文マラソン89 倉石信乃「中平卓馬と反ツーリズムの思考」

倉石信乃中平卓馬と反ツーリズムの思考」(『美術フォーラム21』30号、2014年)。

 

◯1960年代後半から約10年間にわたり、中平卓馬は写真家としてのみならず、既存の映像表現と政治への苛烈な批判者として健筆をふるった。

◯高度経済成長下の日本では国鉄の一大キャンペーン「ディスカバー・ジャパン」が、観光の定着に貢献した。

◯この広告制作をしたプロデューサーは、当の広告においてそれ自体の価値を超えることを目指したこと、もう一つは旅を通じた自分自身の発見、心の発見をテーマにしたと述べる。

◯これは外部世界の解析を曖昧に回避したまま内向するということであり、旅行者に自らの仮想的な「外部」としての「地方」「農村」に対する盲目と差別を助長しつつ、「中央」「都市」のための犠牲を強いてきた日本の近代史の隠蔽の加担であると倉石は述べる。

◯この局面を中平は鋭くつき、ディスカバー・ジャパンのキャンペーンが都市から村へ、人を誘い続けると述べ、西欧に憧れ、モダンなものを求め続ける心理を利用し、旅は収奪され疎外された自己を束の間忘れさせるイベントであると論じる。

◯キャンペーンのポスターデザインの特徴は次の3つである。1.広告の主体と商品が不分明、2.写真の地名が不詳、3.何も推奨しない。より重要な点として写真がブレボケの演出がされた。

◯このキャンペーンの頃、中平が創立し、森山大道が参加した『プロヴォーク』はすでに解散していたが、プロヴォークが推し進めた写真美学の解体におけるブレボケが、マイナーからメジャーまで幅広い層の流行になっていた。大規模広告の雰囲気写真づくりに使用されたことは、中平と森山にとって衝撃的だった。

◯中平は1970年までの自分の作品を否定すべく、72年に代表作の相当数のネガとプリントを焼却。翌年には『なぜ、植物図鑑か』を刊行、自らの写真のもつ詩的なコノテーションを否定。図鑑的な写真が来たるべき形式として希求。

◯忌避していた沖縄に向かい、観光化の進展に反比例して沖縄の基地問題や自然破壊などを取り上げる。中平にとって琉球孤はものの即物的で明確な把握と羅列であり、かつ日本の政治と歴史的現在を厳しく問う場となった。