a curator's memorandum

1日1本論文を読んでメモする、論文マラソンをやっています。

論文マラソン74 熊谷伊佐子「榎倉康二の写真作品について」

熊谷伊佐子「榎倉康二の写真作品について」(『明星大学研究紀要【造形芸術学部・造形芸術学科】』第20号、2012年)。

 

〇榎倉康二(1942~1995)は1969年の個展、友人たちとのグループ展を経て1970年の「第10回日本国際美術展<人間と物質>」に出品、注目を集めた。その年の暮れには友人たちと住宅の空き地を開墾してのグループ展「SPACE TOTSUKA 70」を経験。1971年には「第7回パリ青年ビエンナーレ」に出品。それまでインスタレーションを発表していたが、1972年には写真を発表するようになる。

〇榎倉は熟考してどのような写真を撮るかを決めており、その写真のキーワードを「中平卓馬」「ル・クレジオ「日常」として読み解く。

〇パリ青年ビエンナーレには中平卓馬も参加し、《サーキュレーションー日付、場所、イベント》を出品。本作はパリ街中で撮影した写真をその日のうちに現像し、会場に展示するという作品だった。

〇榎倉は後年、中平から影響を受けたと語る。「70年代のあの頃は学生闘争とかいろいろ問題があって、日常の認識が非常に荒れていた頃で世界の見方をゼロから見ていくという時代だったんですよ。中平さんの写真というのは風景に対する自己認識の在り方がゼロから始まる写真だったと思うし、そういう関わり合いというのが僕なんかも賛同できた。ー中略ーやっぱり現場性というか出来事性というか、そういうものから自分の仕事のコンセプトを引き出していくという上では非常に大きな影響を受けた仕事だとは思っている」。

〇その当時よく読まれていた作家ル・クレジオを榎倉も中平も愛読していた。クレジオの『戦争』の巻末にクレジオが撮影した戦争とかけはなれた、なにげない日常の交差点、信号機、道端、車のタイヤなどが掲載されていた。クレジオは写真を撮りながら本を書いていて、彼にとって「自分がそこにいた」という証明のようなものだと述べている。榎倉はこれらの写真に刺激されたと熊谷は述べる。

〇同様に中平もクレジオの写真を見ており、榎倉と中平のこの頃の思考は共通したところがある。それは自己のイメージで物を操作してはならないという考えであり、それは自己と物とが平行して存在していて交わることはないという考えでもある。

〇榎倉はのちに自身の写真展「榎倉康二・写真のしごと 1972-1994」(斎藤記念川口現代美術館、1994年)の際に自分の写真を3つに分けている。一つ目はカタログの中で「日常」と題しており、写真そのものに焦点を合わせ、風景や事物を撮ったもので、自分自身の存在とそれを取り囲む世界に対することによって生まれた作品、と述べている。二つ目は「予兆」というタイトルで自分と外界との関係の中で、自分自身のコンセプトを切り口として接した作品。本稿の記述してきた事物に対しての思考は主に一つ目と二つ目に当てはまる。