論文マラソン57 平芳幸浩「日本におけるマルセル・デュシャン受容―瀧口修造を中心に」
平芳幸浩「日本におけるマルセル・デュシャン受容―瀧口修造を中心に」(『美術フォーラム21』23号、2011年5月)。
はじめに
1 超現実主義とデュシャン
3 終わりにかえて―詩人瀧口修造とマルセル・デュシャン
〇日本でデュシャンが紹介されたのは1920年代半ば。比較的早いが当初は、遅れてきたキュビスト、ダダイスト、シュルレアリストの一人という位置づけである。しかしこれはフランスともほとんどかわらない。またデュシャンが1923年以降「絵画」を描かなくなったことは、絵画中心にシュルレアリスムを取り入れた日本にとっては大きなことである。
〇ブルトンの著作の翻訳を通じて瀧口修造はデュシャンを紹介してゆく。
〇1955年にスペインのダリ邸でデュシャンと瀧口が出会い、著作『塩売りの商人』を手渡されたことから、瀧口はデュシャンへの関心を強めてゆく。それは言葉のオブジェ化を実践した人物であり、難解な造形作家としてではない。
〇ブルトンを介した《大ガラス》分析からデュシャン受容をはじめた瀧口は、美術評論家としてではなく詩人としてデュシャンにアプローチしていった。