a curator's memorandum

1日1本論文を読んでメモする、論文マラソンをやっています。

論文マラソン10 平瀬礼太「明治前期:名古屋、愛知の造形について」

本日は平瀬礼太「明治前期:名古屋、愛知の造形について」(『近代日本の視覚開化 明治 呼応し合う西洋と日本のイメージ』愛知県美術館・神奈川県立歴史博物館編、風媒社、2023年)です。

 

幕末から明治へ

愛知の陶磁器、七宝

各派の日本絵画-江戸からの連続

おわりに

 

愛知県美術館で開催中の展覧会「近代日本の視覚開化 明治 呼応し合う西洋と日本のイメージ」に図録掲載された論文です。この展覧会は明治時代における造形活動の領域でうまれた多彩な動向を絵画・写真・印刷物・彫刻・工芸などから考えるものであり、主として東京・横浜と愛知がとりあげられています。

平瀬は「明治期の愛知県内の美術的動向が充分に把握されていない状況」であると述べつつ、全体の見取図を示そうとします。

明治の博覧会においては、愛知出身者でいうと陶磁器、七宝が出品され評価されます。さらに展開、発展させるために当時東京に開校した工部美術学校の彫刻を学んだ卒業生を招き、瀬戸で教鞭をとらせたり、常滑で活躍しています。

絵画に目を向けると、明治後期においても狩野派、土佐派、浮世絵・・というように流派別にとらえていたようです。もともと東京ほど時代の影響を受けず、江戸期から継続して活動を続けた愛知の絵師たちは、内国絵画共進会で褒章はとれないものの、出品作品はほぼ売りつくしていたそうで、海外への輸出、販売をする格好の場ととらえていたことがわかります。

明治16年には、地元の有力画家らによる絵画研究団体「同好社」を名古屋博物館(同年秋に愛知県博物館に改組)を拠点に結成、洋画以外なら出品できました。

ほかにも写真、版画(印刷)、油彩においても独自の活動を展開させた例が挙げられています。

日本近代美術史が東京、横浜を中心に語られがちである中、愛知県のような大都市、独自の文化圏の歴史研究を踏まえた構成の展覧会が非常に新鮮で面白かったです。