a curator's memorandum

1日1本論文を読んでメモする、論文マラソンをやっています。

論文マラソン7 河田明久「「作戦記録画小史」1937~1945」

本日の論文は、河田明久「「作戦記録画小史」1937~1945」(『戦争と美術 1937-1945』国書刊行会、2007年)。

 

1 「作戦記録画」とは

2 従軍の背景

3 「推進者」たち

4 「歴史画」未満

5 「歴史画」解禁

6 戦争絵画の礼拝価値

 

「作戦記録画」とはアジア太平洋戦争期に陸海軍の委嘱で制作された公式の戦争絵画群。多くが画面の縦横が等身を超える大作で、単なるスケッチを超えた歴史画としての性格をもつ。少なく見積もって200点をくだらない。

戦争当初は画家が自発的に従軍していたが、1938年に転機が訪れる。

上海にあった中支那派遣軍の報道部が洋画家一群を招く(朝井閑右衛門も含まれる)。そこで制作された作品は翌年の第一回聖戦美術展に貸下げられて一般公開される。これらが最初の作戦記録画と呼ばれることもあるが、まだ一般的な呼称ではない。

また陸海軍それぞれのつばぜりあいも始まり、もう一つの推進者である朝日新聞社は従軍画家による展覧会を計画、以後戦争美術展を取り仕切っていく。

画題を見ていくと「後ろ向きの兵士たち」が多く、正面からはあまり描かれない。また流血や敵兵の姿も、制限されていたわけではないのにほとんど見られない。戦争の大義を心からは感じられず、また前線の兵士たちに後ろめたい気持ちがあるからこうなったのではないか、と河田は述べており、また国民も同様に考えているから、こうした作品が展覧会で熱狂的に受け入れられた。