a curator's memorandum

1日1本論文を読んでメモする、論文マラソンをやっています。

論文マラソン5 針生一郎「戦後の戦争美術―論議と作品の運命」

 

今日の論文は針生一郎「戦後の戦争美術―論議と作品の運命」(『戦争と美術 1937-1945』国書刊行会、2007年)です。

 

1 発端としての節操論争

2 戦争美術の支配構造

3 藤田嗣治の特徴的な役割

4 左翼-日本美術会とリアリズム論争

 

本論文は戦争画について、戦後、特に芸術家から起こった論争を踏まえてその歴史をまとめている。

 

1935年の「松田改組」を経て、陸海軍は中堅以上の美術家を総動員した「作戦記録画・彫刻」を制作させた。多くの作品が生まれたが、終戦後1946年に「民主主義美術」を旗印とする「日本美術会」が結成され、その創立大会では戦争責任の究明こそ美術界全体の自己批判になるべきことを強調。しかしその後戦犯画家として藤田嗣治を指名するなど、特定の作家に責任を押し付ける。

こうした中、リアリズム論争、極端な近代主義批判が起きたため、リベラル保守派、前衛派、左翼共産派らと対立が固定化。

一方戦争記録画自体はGHQに摂収され、時を経て無期限貸与というかたちで東京国立近代美術館へ。展覧会はなされていないが、常設展で何点か展示、また本画集『戦争と美術』で多くの図版がまとめられることとなった。