a curator's memorandum

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論文マラソン179 金英那「西洋との最初の出会い 万国博覧会での韓国の展示物」

金英那「西洋との最初の出会い 万国博覧会での韓国の展示物」『韓国近代美術の百年』(神林恒道監訳、三元社、2011年)

 

コロンブス世界博覧会(シカゴ、1893年)と東アジア諸国

コロンブス世界博覧会(シカゴ、1893年)での韓国の展示

万国博覧会(パリ、1900年)での韓国の展示

 

1893年コロンブス世界博覧会において、東アジア諸国では日本が最も注目を集めた。1862年の万博から日本は自主的に博覧会に参加し始め、費用を出し、優れたパビリオンを建て、洗練された展示を行い、アメリカの観客から高い評価を引き出した。

〇20世紀初めまで日本に対する好意的な評価は続いた。すると日本は台湾、韓国の日本総督府南満州鉄道会社、関東州政府を含む植民地支配機構に展示物を送るように命じる。日本は海外の博覧会に参加することで、古い伝統と深い美的感性をもった国民であることを認めさせることに成功し、西欧の科学技術を学ぶことで発展しようとしている国であることが明らかとなった。

〇東アジア諸国のなかで、西欧の博覧会に参加するのが最も遅かったのが韓国である。コロンブス世界博覧会への参加は、西洋の文化や産物を取り入れようとした国王高宗の積極的な策と関わっていたようだ。

〇19世紀末の韓国は、大きな政情不安に悩まされていた。西洋の博覧会訪問をきっかけに、国際的な動向を改めて認識し、工芸分野に科学技術を取り入れようとした。1907年に京城博覧会が開催され、絵画と彫刻が展示された。出品作のほとんどが日本人によるものだったが、結果として多くの観客が詰めかけた。こうした努力が成果を挙げる前に1910年に韓国は日本に吸収されてしまう。

〇1915年、植民地化された韓国で日本は始政五年記念朝鮮物産共進会を開催する。後に建物の一部が総督府美術館となるが、数年前に景福宮の改修の過程で取り壊された。この共進会は韓国での近代的な美術展の先駆けとなった。さまざまな地方で発見された考古学的な遺物が含まれ、伝統絵画、油彩や彫刻といった新しい西洋風の美術も飾られる。このように共進会は、朝鮮美術展覧会、すなわち1922年に発足する公式の官展の先駆けをなすものであった。