a curator's memorandum

1日1本論文を読んでメモする、論文マラソンをやっています。

論文マラソン162 アド・キルー「第7章 シュルレアリスムの周辺で」

アド・キルー「第7章 シュルレアリスムの周辺で」(訳:飯島耕一『映画のシュルレアリスム』フィルム・アート、1997年)。

 

未来派とダダ

ダダからシュルレアリスム

シュルレアリストたちと映画

並行して

新しい感受性のほうへ

 

〇美術、文学と連動するようにダダやシュルレアリスムの分野において「映画」、とりわけ実験映画、抽象映画に挑戦する作家がいた。ドイツのハンス・リヒター、ラウル・ハウスマンが挙げられる。

ダダイスムシュルレアリスムを映画で結合させた人物としてマン・レイマルセル・デュシャンがいる。マン・レイは『理性に帰る』(1922年)、『エマク=バキア』(1927年)、『ひとで』(1929年)を撮った。

〇またデュシャンの『アネミック・シネマ』(1926年)は分類不可能な作品である。円盤のロト・ルリエフと回転球を動かした。