a curator's memorandum

1日1本論文を読んでメモする、論文マラソンをやっています。

論文マラソン136 関直子「マティスと1950年代前半の日本」

関直子「マティスと1950年代前半の日本」(『東京都現代美術館紀要』8号、2002年度)。

 

1 映画「マチス訪問」の上映

2 新作展としての1951年のマティスの個展

(1)開催の経緯

(2)展示構成

(3)礼拝堂

(4)油絵

3 福島繁太郎の「マティス以後」

結語

 

〇1940年代までの日本におけるアンリ・マティスの受容は主に、渡欧画家たちによる人的交流と雑誌などの複製図版を通したものであった。ここでは1950年代前半のマティス受容を点描する。

〇1950年代前半のマティス受容は大きく分けて、現存芸術家のドキュメンタリー映画である「マチス訪問」の上映、1951年の東博でのマティス展といえよう。つまりより広範な人々による鑑賞体験といえる。

マティス展は当時、朝鮮戦争があったことなどの理由で、絵画中心ではなく、マティスの手元にあった新作である「礼拝堂」のデッサン、マケット、下絵などが中心となり、巨匠の回顧展というより現在の作品を見せることに主眼が置かれた。

〇近代以降、欧米の芸術家と直接的な交流をもつようになった日本の美術界にとって、マティスは多くの渡欧画家が直接教えを請い、晩年に充実した新作展が招来されたという点で、同時代の作家として日本人に受け止められた稀有な存在であった。