a curator's memorandum

1日1本論文を読んでメモする、論文マラソンをやっています。

論文マラソン119 江崎聡子「ダイアン・アーバス、不在のニューヨーク」

江崎聡子「ダイアン・アーバス、不在のニューヨーク」(田中正之編『西洋近代の都市と芸術7 ニューヨーク』竹林舎、2017年)。

 

はじめに

1 「ニュー・ドキュメンツ」展とダイアン・アーバス

2 ニューヨークの「裏側」や「地下」を見ること

3 カテゴリーからの「ズレ」と不安定さ

4 1950~60年代アメリカとアーバス

5 まなざしの交錯―アーバスの肖像写真における視線の力学

6 アーバスのニューヨーク

おわりに―夢と覚醒の作用

 

ダイアン・アーバス(1923~1971)が夫アラン・アーバスのアシスタントをやめて、本格的に活動し始めたのは1950年代末だった。1967年MoMAで企画された「ニュー・ドキュメンツ展」はアーバス、フリードランダー、ウィノグランドの3人の展示である。

〇ニュー・ドキュメンツに先立ち、1966年の「現代の写真家たち:社会的風景に向かって」(以下「社会的風景」展)が開催される。企画したネイサン・ライアンズによればいわゆる風景写真ではなく、アメリカ人がありふれた日常の光景の中に存在する写真であった。またスナップショットの可能性にも言及している。

〇ニュー・ドキュメンツ展においてフリードランダーとウィノグランドはスナップショットとしてのアメリカの日常風景とアメリカ人がとらえられていた。対してアーバスはほとんどが肖像写真であり、スナップショット的特質はなかった。

〇サンドラ・フィリップスはアーバスの作品と、同時代の写真家やあるいはエヴァンズなどの世代の写真との違いに関して、被写体の人物そのものへの強い関心や、その人物のアイデンティティとその流動的性質を指摘している。

アーバスの作品には、世界の裏側や地下への強い関心と同時に、その領域を裏の世界として抑圧し、疎外しているもの、あるいは一つのカテゴリーを別のカテゴリーと区分するもの、そういった境界線の仕組みとその境界線の揺れ動きである。