a curator's memorandum

1日1本論文を読んでメモする、論文マラソンをやっています。

論文マラソン110 苫名直子「道化像―多様性と悲哀の自画像」

苫名直子「道化像―多様性と悲哀の自画像」(『道化たちの詩 日本近代美術における"道化”』図録、北海道立三岸好太郎美術館、1997年)。

 

1. 西欧の自画像

2. 日本における道化の大衆的イメージの形成

3. 日本の画家たちの道化

4. 悲哀の自画像

終わりに

 

〇西欧では長い歴史の中で、アルルカン、ピエロ、クラウンなど多様な道化のキャラクターが表現され、意味内容の幅広さが反映されている。

〇近代には道化像に自分を重ねるという傾向が顕著にみられる。近代化する社会において、強い自我意識に基づき発展し続ける合理的文明への反省を含んで、その対極にあるような異端の道化に共感を覚えているのではないか。

〇18世紀のワトーに始まり、ドーミエロートレックピカソ、ルオー、クレー、アンソールなどが愁いをたたえた道化像を制作する。

〇日本に西欧道化のイメージはどのように伝わったのか、2つの経路を想定する。1つは一般大衆の事情として、大正末期から昭和初期の一般雑誌や新聞には多くの道化像(写真やイラスト)が見られ、多くの人におなじみとなっていた。また江戸時代末期から西欧のサーカス団が来日し、日本の曲馬団も様々に西欧風を参照していた。

〇しかしサーカス道化は西欧では欠かせないキャラクターだが、日本では曲芸ができなくなった団員の行く末であった。そのため日本のサーカス団の道化はみじめな憐みの対象と映った。また旅回りをするという定住しないスタイルも日本では積極的に評価されにくいはずである。

〇日本の画家たちが描いた道化像(出品作)は上記の状況とは異なり、海外の道化像と同様に道化本来の広範な意味合いが盛り込まれている。それは彼らの多くが滞欧経験があり、同地でじかに道化についての情報を得たり、あるいは彼らが研究熱心な文化人であることが要因であろう。

〇日本近代画家たちの道化には悲哀の像も多くある。これは可哀そうなモデルを描いたというより自画像的な性格をもつものがほとんどであろう。その最初の作例は北原白秋の詩集『思ひ出』の扉絵のピエロ像であり、その傾向は文学者、演劇関係者、進歩的な画家へと広がっていった。

三岸好太郎は1928-32年の間に道化像を20数点描いている。滞欧経験はなく、上海でフランス風のサーカスを観たほか、国内で得られる情報のみであるが、このテーマを自分のものにしている。多くは単独で静かに物思いにふける姿で描かれる道化像は、ほとんど自画像を残さなかった三岸の自画像といえよう。

〇鳥海青児は三岸と交友が深かった。鳥海の道化はモデルを映したものといわれるが、衣装のデザインが三岸の初期の道化と似ているのは偶然だろうか。

〇またこうした道化=自画像の誕生の背景には同時代のヨーロッパのルオーやピカソらの自我意識に貫かれた作品からの刺激が挙げられる。

〇戦後の道化像も国吉康雄、阿部合成などやはり悲哀や哀愁を帯びたものが多数派であり、現在一般の道化像のイメージにつながっている。