a curator's memorandum

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論文マラソン100 石川千佳子「『瑛九による久保貞次郎宛エスペラント書簡』について」

石川千佳子「『瑛九による久保貞次郎宛エスペラント書簡』について」(『美術教育研究』21、2015年)。

 

はじめに

瑛九の画業における書簡集の位置

記述例1:銅版画制作に関わるもの

記述例2:美術批評に関わるもの

     ①制作の理念を求めて

     ②同時代の美術家への眼差し

記述例3:美術教育に関わるもの

小括

 

〇真岡市の久保貞次郎(1909~1996)の旧宅から66通の書簡が発見された。(内64通が瑛九から、2通が瑛九の死後に妻の都と実兄の杉田正臣から)いずれもエスペラント語で書かれている。

〇身辺の状況報告が主である杉田正臣宛エスペラント書簡に対し、本資料は久保貞次郎宛で芸術論が中心であり、瑛九の後半生の作品と活動を研究する上で重要な資料。

〇書簡は1948~59年に書かれており、大きく銅版画制作に関わるもの、美術批評に関わるもの、美術教育に関わるものが含まれる。

〇銅版画については、久保がエッチングプレス機や銅板等の必要な材料を瑛九に提供していたことや、デモクラート美術家協会会員である加藤正や森啓も銅版画制作を始めたこと、1953年頃の瑛九エッチングへの没入ぶりが裏付けられる。

〇美術批評に関しては、瑛九キュビスムや抽象に共感している。東野芳明らから酷評を受けながらもキュビスムと抽象を合体させたような造形に挑んだ背景には、真岡での久保との対話が考えられる。

〇同時代の美術家については岡本太郎川端実には否定的で、国吉康雄や海老原喜之助、福沢一郎らに共感を寄せている。

〇美術教育関連については、児童画展開催の段取りや資金繰りなどの事務的な報告にとどまっており、創造美育運動の理念に踏み込む記述は見当たらなかった。