a curator's memorandum

1日1本論文を読んでメモする、論文マラソンをやっています。

論文マラソン86 小倉忠夫「<作家研究>菅井汲」

小倉忠夫「<作家研究>菅井汲」(『季刊版画』10号、1971年)。

 

〇菅井汲(1919~1996)はタブローと渡仏後はじめた版画も制作しており、両者はメディアは違うが様式的、質的にも差異はない。

〇菅井は日本画を学び、阪急電鉄の宣伝部でポスターを描いていた時期もある。1952年に渡仏。女、鳥、鬼、悪魔などを題材に制作を始める。

〇1957~58年頃に絵のフォルムは単純化していき、61年頃には墨書のように、そして次第に象形文字のように簡潔化していく。

〇版画分野においては、1957年にル・ジャンドル画廊にてジャン・クラランス・ランベールの詩集「はてしない探究」の挿絵リトグラフを発表、ならびに第一回東京国際版画ビエンナーレ展に出品。当展には第五回まで連続招待出品をつづけている。59年リュブリアナ国際版画展において、ザグレブ市立現代美術館上賞を受ける。60年東京国際版画ビエンナーレ展で国立近代美術館賞、61年にはリュブリアナで第二位受賞、ならびにグレンヒェン国際色彩版画トリエンナーレでグランプリ、66年第一回クラコウ国際版画ビエンナーレ展でグランプリを受賞。68年イギリス国際版画ビエンナーレ展に出品。

大岡信によれば、菅井はパリのリオン通りの石版刷師ポンスのもとへ一か月半通い、油絵とは異質の石版術を会得した。

〇62,3年にはエッチングを集中的に制作、カリグラフィックな作風を示している。エッチング技法独特の効果を挙げることよりも、ピカソやミロが好んで用いるソフトグランド・エッチング、アクアチントが目につく。筆で描いておいてからグランド処理をし、のち筆勢そのままに腐食できるソフトグランド(別名・シュガーアクアチント)は、むしろリトグラフや肉筆に近い。

〇銅版画という観点からいえば、ほかに類をみない東洋的表現主義をうちたてる。

◯64年には異質な構図を組み合わせて総合的な別の表現へと展開。ますます、タブローと版画が密接な関連を示している。