a curator's memorandum

1日1本論文を読んでメモする、論文マラソンをやっています。

論文マラソン104 田島直樹「一制作者から見た瑛九銅版画―その制作工程と刷りについて」

田島直樹「一制作者から見た瑛九銅版画―その制作工程と刷りについて」(『石井コレクション研究1:瑛九筑波大学芸術学系、2010年)。

 

1. 銅版画との出会い

2. 作品分析:石井コレクション所蔵作品を中心に

3. 《家族(B)》に見る、刷りが作品に及す効果について

4. 実験試作

5. まとめ

 

瑛九が銅版画制作を開始した1951年頃は、まだその技法は日本に定着していなかった。久保貞次郎によれば、戦前には主宰者西田武雄の編集による専門誌『エッチング』を見つけ、1951年頃小野忠重のあっせんで購入した久保のエッチングのプレス機で試作をしたそうだ。

〇書籍を熱心に読み、瑛九は技術を習得してゆく。1952年には宮崎でエッチングによる初個展開催。1951~1958年まで続けた銅版画は350点を生み出した。特にリトグラフの制作が本格化する1956年頃までが最も充実した時期だといえよう。

瑛九は下絵作成や転写はせずに版に直接描画している。石井コレクションにある《カメラ》には少なくともステートが存在することがわかる。

瑛九の銅版画の多くには、本人が亡くなってからの「後刷り」が存在する。

〇下絵を用いず、直接版に描画を行い、極力加筆・修正を施さない瑛九の作品には、即興性のリズムがある。その即興性とはダイレクトに版に描画する際の緊張感と、制作に対して新鮮な気持ちを持ち続けるための結果としての即興性を示す。

〇一点の作品に固執しすぎず、次々にあふれ出るイメージを銅板に描きとめようと作り続けた独特の制作スタイルを構築した。こうした手法が、集中的に大量の作品を生み出していった。