a curator's memorandum

1日1本論文を読んでメモする、論文マラソンをやっています。

論文マラソン171 ロザリンド・E・クラウス「第2章 ルイーズ・ブルジョワー《少女》としての芸術家の肖像」

ロザリンド・E・クラウス「第2章 ルイーズ・ブルジョワー《少女》としての芸術家の肖像」(訳:井上康彦『独身者たち』平凡社、2018年)。

 

〇彫刻家ルイーズ・ブルジョワ(1911-2010)の作品は、フェミニズムに同調し、確かに魅力的な制作を行ってきた。しかしこれまで指摘されてこなかった多くの論理―部分対象、独身装置、アール・ブリュットの虚言癖、「不定形」、欲望機械と深く結びついているとクラウスは説く。

〇例えば一般的に人体の部分のみを対象とした彫刻でいえば「部分像」、つまり胴、手、乳房・・などフォルムの問題、つまり抽象化へと移行する問題として身体は語られてきた。ブルジョワの明らかに性器を象った彫刻ももっぱらフォルムの問題として取り扱われてきた。

〇しかし、モダニズム彫刻は「部分像」ではなく「部分対象」の領域に位置づける読み方もある。精神分析の分野では、部分対象は本能や衝動の目標とされている。つまり抽象的なところはなく、個体同士の人間のつながりではなく、還元的なもの―たとえば乳房に還元された母を指す。

ブルジョワだけではなくブランクーシもまた、作品の幾何学的な純粋性という点だけで語られ、部分対象の視点が欠けていたとクラウスは指摘する。

〇またブルジョワの1940年代後半に手掛けていた絵画やドローイングは、シュルレアリスムを想起させる。アンドレ・ブルトンは分裂症者の作品を推奨し、シュルレアリスム全体に影響を与えていた。ブルジョワの絵画には明らかにその関連を思わせる表現があるが、そうした類似性は語られない。

ブルジョワはまた、1940年代に絵画制作をやめ、彫刻に転向する以前に『彼は完全な静寂のなかに消えていった』という本を出版し、物語とそれに添える銅板画をつけている。物語の筋を作り上げている強迫観念と、調子の機械的な平坦さ、添えた銅版画にみられる梯子など建築的な要素と、デュシャンの独身装置との類似性をクラウスは指摘する。