a curator's memorandum

1日1本論文を読んでメモする、論文マラソンをやっています。

論文マラソン97 福井泰民「明治の牙彫置物盛衰史」

福井泰民「明治の牙彫置物盛衰史」(『日本の象牙美術』図録、渋谷区立松濤美術館、1996年)。

 

根付から置物彫刻へ

東京彫工会のこと

西崖の批評でたどる明治30年代の牙彫りの流れ

東京美術学校牙彫部のこと

大正以降の象牙彫刻

牙彫作家、玉山、俊明、光明のこと

 

〇明治の牙彫りは根付に端を発するといわれる。明治初期の象牙の輸入額、販売額をみると海外への輸出の好況がわかる。

明治14年以降輸出がふるわなくなり、彫刻としての技術を磨こうとする作家たちが集まり研究会を開くようになる。それが「東京彫工会」である。

明治30年代の牙彫りに関して、大村西崖の批評によれば写生の研究により、作風に進歩があり新生代の牙彫作家が活躍し始めたとある。西洋の塑像的彫刻的見方が牙彫会にも浸透してきたのである。

◯かつて明治40年から大正12年まで東京美術学校には牙彫部があった。指導には高村光雲、竹内久一、石川光明があたった。光雲以外は牙彫から木彫をするようになっている。

◯事実上、あまり牙彫を志望する学生はおらず、3人の指導者は木彫に力を入れていた。志望が少ない理由は光雲の木彫重視の姿勢、光明の早逝も大きかった。