a curator's memorandum

1日1本論文を読んでメモする、論文マラソンをやっています。

論文マラソン134 門田園子「海を渡った彫刻家具―横浜を中心に」

門田園子「海を渡った彫刻家具―横浜を中心に」(『家具道具室内史』9号、2017年6月)。

 

はじめに

1. 彫刻家具の製作と家具の種類・意匠パターン

2. 彫刻家具製作の担い手

3. 海を渡った彫刻家具

むすびに

 

〇江戸時代に成熟した大名や富裕町人によるパトロン文化が途絶え、廃仏毀釈で打撃を受けた宮彫り師たちの技術を、来日した外国人の新たな需要を見込んで洋式家具に適用するところから「彫刻家具」の製作が始まったと考えられる。

〇そうした宮彫り師の一人であり、明治になって横浜で「キュリオ・ストア」を営んでいた沼島治郎兵衛(~1915)は1890年代オーストラリアに見聞し、家具が必需品であると見込む。

〇戦前国内外で美術工芸品を多く商った山中商会(大阪)も、彫刻家具といえる和洋折衷スタイルの家具を製造・販売していた。

〇彫刻家具の需要は来日した外国人の購買、あるいは輸出である。現代でもオークションでしばしば取引がされる。個人蔵が多いが、ロシアのウラジオストク市にはまとまった数の彫刻家具がある(約40点)。戦前は日本から多くの人が出稼ぎにやってきた、日本にゆかりのある極東地域である。

〇彫刻家具が国内に残されている例は旧坂田武雄コレクション以外ほとんどない。