論文マラソン95 門田園子「「輸出向彫刻家具」について : ウラジオストク市で の調査を中心に」
門田園子「「輸出向彫刻家具」について : ウラジオストク市で の調査を中心に」(『デザイン理論』61、2013年1月)。
はじめに
1. 輸出向彫刻家具と洋家具の相違、輸出向彫刻家具の先行研究
2. 輸出向彫刻家具の製作
3. 輸出向彫刻家具の意匠:極東ロシア、ウラジオストク市の輸出向彫刻家具所蔵調査をもとに
4. 結
〇「輸出向彫刻家具」はケヤキ、ホオ、サクラ、カツラ、イチイなどの国産木材に、深彫りで花鳥や雲龍模様といった東洋的意匠を凝らした洋式の家具。1890年代から1930年頃まで横浜を中心に製作、輸出されていた。
〇輸出向彫刻家具は洋家具と異なり、国内の需要はなかったため、国内にはほとんど残っていない。
〇洋家具は1850年代から横浜で製造されるようになる。最初は持ち込みの家具の修理を行っていた。
〇輸出向彫刻家具と洋家具は明確に区別されている。
〇輸出向彫刻家具は関東大震災が起きるまでは安定した需要と供給があった。
〇明白な東洋趣味に訴えかけるようなデザインで、宮彫りの伝統技術の流れをくむ職人技は高い評価を得て、主要輸出産業の一つになった。
〇国内で開催された内国勧業博覧会に、横浜の輸出向彫刻家具は出品されたことはなかった。彫刻家具は政府主導の推奨産業に選ばれなかった。
〇門田はウラジオストックに残る輸出向彫刻家具を調査、分析している。種類に限らず家具はすべてカブリオール脚をもち、植物文様、動物文様、自然文様、幾何学文様などが巧みに施されている。装飾過多な傾向やモチーフに吉祥文様を用いるのは、明治期に全国に配布された『温知図録』に例示されている。
◯輸出向彫刻家具に使われた意匠は東洋趣味を好む外国人に合わせて製作される一方で、同様のモチーフは明治宮殿でも使用されているように、日本固有の意匠として多用された。
◯しかし用途に合わせるために構造の部分は、ロココ、ルネサンス様式など洋家具にならい、形態と装飾の噛み合わない折衷様式が生まれたといえる。