a curator's memorandum

1日1本論文を読んでメモする、論文マラソンをやっています。

論文マラソン72 田中修二「日本彫刻史の中の岡本太郎」

田中修二「日本彫刻史の中の岡本太郎」(『岡本太郎 立体に挑む~造形のなぞにせまる~』図録、川崎市岡本太郎美術館、2008年)。

 

1 彫刻家・岡本太郎

2 岡本太郎の彫刻の範囲

3 空間

4 土のイメージ

5 植物、人体、モニュメント

 

岡本太郎は一般的に画家だと認識されているが、主要な作品は30代までで、40代からは《太陽の塔》に代表されるように、彫刻家として活動している。

〇太郎の絵画に目を向けると、《空間》(1934)、《傷ましき腕》(1936)、《森の掟》(1950)など重みを感じさせる物体、画面から飛び出してくる存在感をもっているといえないか。平面作品から浮彫的な表現を見ることができる。

〇美術史において「空間」への意識は20世紀における「彫刻」の概念の拡張と深くかかわる。両大戦間期にパリに渡った日本人画家の多くはブールデル、マイヨールというロダンの系譜を継ぐ彫刻家の影響を強く受ける。それもあって戦前には抽象的形態をもつ前衛的な表現は絵画に比べて、ほとんど生み出されなかった。

◯戦後の抽象彫刻と野外彫刻の隆盛は、空間を強く意識した彫刻表現のあり方だった。岡本太郎は1952年に「縄文土器論」を発表し、反響を呼ぶ。日本美術史の中で縄文土器を位置付けを確かなものとし、日本人の造形性のルーツに縄文土器という新たな視点を提示し、造形表現の空間性に鋭い分析を行った。彫刻史におけるロダニズムと戦時の空白を埋めるような、彼の空間論は戦後の彫刻史の第一歩である。

◯同じ頃、勅使河原蒼風に勧められ陶による花器を制作。その後は次々に土による陶芸を手がける。自分をイサム・ノグチと正反対の泥臭い人間ととらえた。

◯また、いけばなからの影響として植物的、また動物、人間という有機的な形態が指摘できる。

◯「岡本太郎的」形態は親しみのある有機性をもつと同時に日常から切り離された異形性が特徴である。

◯彫刻を専門的に学ばず、だからこそ自由に、当時一般的ではなかった立体への着色や、自己流の型取り、見せ物や中に入れる大仏的な《太陽の塔》を作ることができた。