a curator's memorandum

1日1本論文を読んでメモする、論文マラソンをやっています。

論文マラソン41 小林純子「明治期後半の東京の陶磁器産業とその図案の特質」

小林純子「明治期後半の東京の陶磁器産業とその図案の特質」(『鹿島美術研究』年報第16号別冊、1999年11月)。

 

1 東京の陶磁器産業の状況

2 東京の工芸振興政策

3 迫られる図案の変化

4 古典模倣の行く末

 

〇明治期において東京は陶磁器の一大産地(全国第5位、1佐賀2岐阜3愛知4京都)であった。明治20年代以降の東京の陶磁器産業は業界機構の整備がなされる。すなわち陶画工の組合、協会の組合、工業学校の図案科、工業教員養成所の設立など。

〇東京の工芸振興政策は、政府に依存していた時期を経て、自治体レベルの団体や施設を置くことにより東京独自の政策を行うようになっていった。しかしその実態は、美術団体龍池会の影響が大きかった。

〇「東京絵付」は政府の方針に忠実で、当時の図案は古画、粉本などから直接採られることが多かった。しかしそうした古画の模作に頼った図案は、1900年のパリ万博では政府の意気込みとは裏腹に批判される。

〇明治後期にこうした古典模倣の図案は徐々に新しいものに変わっていくが、絶えてしまったわけではなく、今日まで続いている。