a curator's memorandum

1日1本論文を読んでメモする、論文マラソンをやっています。

論文マラソン18 豊見山愛「主体と客体の間で-沖縄女性美術研究(1)-」

本日は豊見山愛「主体と客体の間で-沖縄女性美術研究(1)-」(『美術館研究紀要』第2号、沖縄県立博物館・美術館、2012年)。

 

序章-葛藤を繰り返した「沖縄」を描く

 同化政策植民地主義

 二重のマイノリティー

 戦後復興の導として

一章-沖縄女性美術の萌芽

 久場とよ(1921-)

 山本文子(1921-)

 大城志津子(1931-1989年)

 

戦後の沖縄出身の女性美術家である久場とよ(油彩)、山本文子(油彩)、大城志津子(織)の仕事を考察していく。その前段として1930~40年代に県外から来沖した男性美術家による「描かれる沖縄女性」、そして沖縄の男性画家である名渡山愛順(1906~70)による女性像および活動を論じる。

 

1930年代以降、沖縄を訪れた画家たちによる女性像は多い。大別すると「辻(遊郭)の女性像」、もしくは「琉装以外の女性像」であり、前者は衣装や髪型から辻の女性がモデルになっており、オリエンタリズムの対象としての眼差しがみてとれる。また後者は日本政府の差別的な扱いに対する抵抗、沖縄固有の文化を守ろうとする思いであろうか。

名渡山愛順は東京美術学校へ進学、下落合に居を構える。1937年に帰郷し、その頃から沖縄画題、とりわけ琉球衣装の女性像を熱心に描くようになる。当時、紅型着物は高級であり、また県外のコレクターの手にわたることが多かった。着物や髪型はモデルのままではなく、フィクションとして描いている。

また名渡山は住居兼アトリエ村として、そして文化復興の礎となることを願って「ニシムイ美術村」を構える。日頃は教師をしており、そこで学んだ女性画家もおり、結果として戦後の沖縄女性美術の萌芽を育んだことになる。

戦後の沖縄女性美術家として先駆者である久場とよ(油彩)、山本文子(油彩)、大城志津子(織)といった油彩そして工芸を包括的に光を当て、表現者の活動を丁寧に見ている。