論文マラソン112 安藤輝美「猪熊弦一郎《海と女》の頃」
安藤輝美「猪熊弦一郎《海と女》の頃」(『生誕100周年記念 猪熊弦一郎回顧展』図録、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、2003年)。
〇東京美術学校在学中に帝展入選を果たした猪熊は、中退後も帝展を舞台に出品をつづけた。しかし帝展改組をきっかけに仲間と第二部会展に参加。帝展を離れてから最初の発表作が《海と女》である。
〇試みの一つには屋外に人を配置した点にある。千葉県銚子の犬吠崎という風景、そして四人の女性を明るくはっきりとした色彩で描いている。
〇二つ目の試みは新しいバランス感覚である。描き方としては先に風景を、その次に人物を入れ込む順序であり、四人の人物を描きこむための砂浜の部分が高く、人物をとらえる視線の方向が異なることにやや違和感を覚える。
〇しかしその違和感、大胆でのびやかな配置こそが猪熊が目指したものであり、人物は画面に新鮮な驚きをもたらしている、と安藤は述べる。
〇《海と女》は帝展決別を果たした意気込みがあらわされていた。翌1936年に再改組によって多くの画家は帝展へ復帰していったが、猪熊は仲間たちと新制作派協会創立へと向かった。封建的な組織から離れ、純粋な造形を追求することが彼らのスローガンであった。