a curator's memorandum

1日1本論文を読んでメモする、論文マラソンをやっています。

論文マラソン26 鈴木勝雄「日本における「コンセプチュアル・アート」元年ー1969年の言説空間から」

鈴木勝雄「日本における「コンセプチュアル・アート」元年ー1969年の言説空間から」(『美術フォーラム21』第30号、2014年11月)。

 

はじめに

1 「つくる」から「見る」への転換――テクノロジーデュシャン・芸術の観念化

2 第9回現代日本美術展と「コンセプチュアル・アート

 2-1 針生一郎の「コンセプチュアル・アート」への苦言

 2-2 李禹煥の「コンセプチュアル・アート」批判

 2-3 「芸術の廃棄」と「コンセプチュアル・アート

終わりに

 

戦後日本美術史の中で「コンセプチュアル・アート」という用語は、いつしか松沢宥に代表される限定的な仕事のみを指すようになっている。それは「もの派」が1970年代に定着する過程と軌を一にしている。本論では日本の美術の言説における「コンセプチュアル・アート」および類義語の用例について検討し、語義の変遷と言説の力学を明らかにすることを目的にしている。

言説を追っていくと、初期にはテクノロジーと融合した「環境芸術」、キネティック・アート、ライト・アートを対象にして議論が始まっている。

しかしその後作家が「コンセプチュアル・アート」という言葉のもと一くくりにされたこと、また資本と結託したテクノロジーと芸術というあり方への世代的な反発もあり、芸術の観念という概念から、テクノロジーを用いた作品群は排除されることとなった。