a curator's memorandum

1日1本論文を読んでメモする、論文マラソンをやっています。

論文マラソン48 江川佳秀「柳亮―批評が作家をリードする―」

江川佳秀「柳亮―批評が作家をリードする―」(『近代画説』第11号、2002年12月)。

 

はじめに

柳亮前史

巴里藝術通信社

帰国後

戦後

おわりに

 

美術批評家・柳亮(1903〜1978)の生涯と特徴をたどる。文学、美術ともに関心が強く、制作を行なっていた。フランス留学中、実作に才能がないことを悟り、学問の道へ進む。

パリ滞在中、巴里藝術通信社をつくり、展覧会などのマネジメントを行う。そうした過程で、留学中の藤田嗣治、海老原喜之助など多くの画家や薩摩治郎八らと深く交流する。

戦争が近づき、周囲の人間関係の悪化があり日本に帰国。1930年代後半から本格的に批評活動を始める。

柳は旧来の美術批評の不振を問題視し、質の向上に努める。批評は問題に追随するのではなく、作家をリードすべきとの思いがあった。

1936年には日本大学芸術学科で、戦後は黎明会という私的な研究会、トキワ松学園女子短期大学で指導にあたり、『黄金分割』『続黄金分割』などの執筆はベストセラーとなる。

柳の批評活動は文筆にとどまらない、具体的に作家を育てる活動であった、と江川は締めくくっている。

ちなみに洋画家・朝井閑右衛門は柳亮のスケッチ的肖像画を戦前に残している。滞仏経験は朝井はないが、日大の指導経験はあるのでそのつながりかと思われる。(要確認、メモ)